お詫びと今後など…。

【お詫び】

 昨日は当方のブログにおいて、親切心からいただいたコメントに対し、間違った対応をしてしまいました。
 さらに、いただいたコメントの背景にある思いを推し量れず、言葉の表面的な意味にとらわれ、さらに間違った返信をしてしまい、結果として、大変な、ご不快感、ご失望感を、おかけすることになってしまいました。

 謝罪させていただきます。

 誠に申し訳ございません。


 あゆざかけい


【言い訳】

 本日、一日かけて、ようやく頭が回ってきました。
 改めて昨日の自分の言動を振り返り、間違っていたことに気がつきました。
 今の僕は、どのような背景があったとしても、言葉の意味が強いものであるとき、それをまともに受け止められないようです。

 誠に、良い歳をして、未熟者であると思います。

 昨日は、いただいたコメントが当方にとってはとてもキツイお言葉だったことから、その言葉の表面的な意味だけにとらわれてしまいました。

 「侮辱」といった表現は、そのためであります。
 背景にある親切心に対し、上記の言葉は、あまりにもひどい反応であったと、今更ながらに思います。

 また、「ご叱責のコメントをいただいたそもそもの理由」 についても、少しわかってまいりました。「少しかよ」 と、更なるご叱責を受けそうですが、事実です。

 当方が先日、非常に不安定・切迫したブログ記事を投稿したこともあり、皆さまより、ご心配を受けていたところに、のほほんとした自分自身の切迫感を自覚していないような返信をしてしまったため、お叱りをいただいたのではないかと、いまは思っております。

 これも、自身の未熟さ、子供さ故であると思っています。


【今後について】

 一度、発してしまった言葉は元に戻すことはできません。また、謝罪という行為は、多分に自己満足のためという面があることも自覚しております。
 謝罪をすればよいというわけでもない、ということも分かっているつもりです。

 このような文章の中で言うことではないかもしれませんが、昨日、お叱りのお言葉の中にあった内容で、一点だけ、お伝えしたいことがあります。

 それは当方が、ブログを書く理由です。

 まず、第一は、とにかく書きたいから、です。
 第二は、誰かに読んで欲しいから、です。

 暖かな言葉を得ること…は、まったく無いと言うと嘘になってしまいますが、主目的ではないと思っております。
 つまり、暖かなコメントを得ることが、主目的ではない、ということです。

 また、今の僕は、どのような言葉を発し、どのような行動をすれば、お叱りを受けないのか…。
 こうした点について、わからない状態で、それこそ親の怒りを恐れる子供のような、非常に未熟な状態にあります。

 上記のようなことから、当面、コメントの受付をしない、…ということで、運用しようかと思っています。

 コメントを受け付けないということにも、もしかするとご不快感につながるかもしれませんし、当方にとっては貴重なご意見を受ける機会を逸することにもつながります。

 しかしながら、今の僕は、昨日のように、コメントに誤った反応をしてしまう可能性が高いと思っています。

 それは自分の未熟さが原因です。


【終わりに】

 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 乱筆にて失礼いたしました。